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もうすぐ4人家族になるアラサーの日々のいろいろ

妊娠生活を振り返る 切迫早産の日々編

母子ともに特に問題なく、退院して一家揃って同じ市内にある義実家に里帰りしている。私の実家は距離があり、居るのは働いている母1人なので、頼りにくい。上の息子の時同様、義実家の好意に甘えている。

専業主婦の義母が全部家事をしてくれるので、昼間はニート生活だ。新生児娘の世話はあるが、寝ている間は何もしなくて良いし、ぐずっていても抱っこしておけばとりあえず泣かないので、割とマシだと思う。

息子は、日中は保育園に行っており、送迎も産前から引き続き夫と義母がしてくれている。帰宅してからは遊んだりご飯を食べさせたりはするが、見てくれる人が多いので、娘が泣いていれば、私はそちらの世話に専念できる。相変わらず息子のイヤイヤはひどいが、今のところは赤ちゃん返りはほとんどない。しょっちゅう遊びに来ている義実家なので、義父や義母も息子も慣れている。

というわけで、主に私ばかり楽をさせてもらっている里帰り生活である。流石に退院後1週間は体のダメージが残っており、横になっていないとしんどかったが、今となっては体もだいぶ回復したので、上げ膳下げ膳が申し訳ないくらいだ。自宅に帰ってからの、家事と平日の育児が全て私担当になるだろう生活が怖い。



時間のあるうちに、妊娠生活の振り返りの3回目、切迫早産の日々のことを書き記しておこうと思う。



切迫早産が発覚したのは妊娠8ヶ月。30週の定期検診のときであった。

妊娠中期からたまに腹が張ってるのは分かっていたが、痛みは伴わなかったし、仕事に集中している日中は、身体には意識があまりいかない。こんなものだろう、と気楽に考えていた。

検診の時も、看護師さんに「張りやすそうなお腹だ」「というか張ってる」と度々言われてはいたが、主治医からは特に何の指摘もなかった。まがりなりにも毎回内診を受けていたし、何かあれば流石に言われるだろうと思い、大きなトラブルはないんだろうと考えていた。

逆に、2週前の検診で逆子を宣告され、毎日就寝前に逆子体操に励んでいたくらいだ。

油断しきってきたので、健診の少し前に出産前の最後の旅行として、有馬温泉にも行っていた。事前に医師の許可は得ていたし、まさか切迫になるなんて思ってもいないから、アップダウンのある六甲山の牧場や有馬の温泉街を歩き回って観光した。家庭内では、これも切迫早産の要因だったのではないかという説もある。旅行に関しては楽しかったし、やはりもうしばらく旅行は行けないと思うので、後悔はしていないが、まあそうかもしれない。




そんな中での、急な切迫早産の診断である。

「逆子は治っているが、お腹の張りが強く、子宮頸管が短い(約3cm)。

張り止めのウテメリンを1日3回服用し、家でおとなしくしておくこと。仕事も診断書を出すので、休むように。」


寝耳に水の話だったが、なってしまったものは仕方がないし、仕事も家庭もなんとかするしかない。帰宅後に夫とこれからの生活を相談した。




仕事の方は、即日連絡を入れ、翌日は引き継ぎと残務整理、手続きのために出勤した。その次の日からは残っていた有休を消費して、予定より2週間ほど早く産休に入った。入れてしまっていたアポイントは上司に振って、担当していた仕事の引継を1日で終わらせた。職場もすぐに理解してくれたので、一応もらっていた診断書を出すまでもなかった。

うちの会社では、通常女性社員が産育休を取る際は、代替としてバイトを雇う。しかし、私の場合専門職ということで代替を取れず、人事異動でも補充はなかった。ただでさえ休むことで人数が減るので、せめて出来るだけ迷惑をかけない形で休みを迎えたかったのだが、きちんと仕事を終わらせられなかったのが心残りだ。落ち着いたら、職場に挨拶に行かないといけないが、非常に気が重い…。



家庭の方も、私が担当していた家事や育児をどうにかしなければならない。

とりあえず、息子の保育園の送迎が問題になった。

自宅から保育園までは1.5kmほどある。通勤経路なので、普段は車で送迎していた。ただ、うちの車はSUVなので、抱きおろしをしないと絶対に乗せ降ろしが出来ない。2歳イヤイヤ期の息子は素直に車に乗ってくれないことも多く、時には無理やり抑えて乗せる必要がある。


結局、私の時短勤務に合わせた8:30〜17:00だった息子の保育時間を8:00〜18:00に伸ばしてもらい、夫が基本的に送迎することになった。

また、息子に食事を食べさせる(椅子に座らせるのに抱き上げる必要があった)、風呂に入れる等、抱っこが伴うお世話はすべて夫の担当になった。また、私と息子→和室の布団、夫→寝室のダブルベッドであった寝る場所を交代し、寝かしつけも夫にしてもらうことにした。

私は、朝夕の食事の支度、食器洗い、洗濯等の最小限の家事のみの担当になった。買い物も、平日はネットスーパーと元々利用していた生協で賄った。



仕事が繁忙期の年に入った夫は、定時で仕事を切り上げて帰ってくること、今まであまりタッチしてこなかった平日の育児をすることが苦痛で仕方なかったらしく、だいぶ精神的に参っていた。

それでも、安静中の1ヶ月半、送り迎えも息子の世話もこなしてくれて助かった。休みの日も私もある程度は一緒に遊んだりしたが、外に連れ出してくれたり、家で1人で見てくれたり

と頑張ってくれた。



私はというと、家事をしない時間は、基本的にはベッドかソファの上で横になっていた。

夫が買って来てくれたクロスワードパズルの雑誌や、3DS、携帯でのネットサーフィンを暇潰しに使っていた。仕事に関する資格試験の本も買ったのだが、こちらはほとんど読まなかった…。

また、横になるとつい眠ってしまい、1日2時間くらいは昼寝してしまっていた。

それまでフルスロットルで動いていた身には違和感が凄かったが、ある種休息を与えてもらったのだと思い、ごろごろすることに専念した。


そうは言っても、横になっていなくてはいけない、というのは苦行でもあった。元々引きこもり体質なので、外出できないのはそこまで苦ではなかったが、それでも自分が家庭において何もできない、というのが辛かった。特に肉体的にも精神的にも疲弊していく夫が、折に触れていかに自分がしんどいかということを訴えてくるのが辛かった…。聞いても何もできない上に、罪悪感ばかりかられた。



産まれてしまうと行動が制約されるので、産前休暇は有意義に使おうと思っていたのだが、元々思い描いていたものとは大幅に違う結果となってしまった。

切迫早産になる前は、仕事や日々の生活のストレスの合間に、産休に入ったらやりたい事を夢想していた。

とりあえず美容院がすいている平日に髪を切りに行きたい。息子が産まれてから行きにくくなった、おしゃれっぽい飲食店にランチに行きたい。

このあたりの"夢"は、基本的に出来なかった。夫が平日の車を使うことになり、我が家の徒歩圏にはスーパーくらいしかないため、移動手段を持たない私には何もできなかったからだ。それでも、正産期に入ってからは、スーパーに併設したラーメン屋に1人で行ったりして、少し溜飲を下げた。