34w2d 定期検診
胎児は下がってきてるが、とりあえず子宮頸管もセーフで、もう2週間安静とウテメリン継続になった。それが終われば服用は終了し、安静も少し大人しめに過ごす程度にしてよいとのこと。まあでも、生産期までは持たせたいとは言われた。そりゃそうだ。
「子宮頸管短くなってるね、でも、3cmはあるからマシな方かな」と医師に言われたが、一月前も3cmと言われたような気がするのだが…相変わらずもの言いが適当な医師だ。
エコーでの推定体重も2300g位になり、2000gはとりあえず越えた。36週の検診では2500gを越えて欲しいところ。
GWも当然遠出はできないのだが、母が何日かくるつもりのようなので、出産準備や家の片付けを手伝ってもらうつもりである。あと義実家メンバーで焼肉に誘われたので、体調に問題がなければ参加する予定。焼肉で出産誘発しないといいけど、まあ大丈夫だろう。
一応最終的なゴールが見えてきて、最悪出産になってもリスクがだいぶ減ったので気持ちはだいぶ楽になった。
夫は本気かどうかわからないが、早く産まれた方がいいとこぼすようになった。
妊娠生活を振り返る 家庭編その1
34週に無事突入。
夫の腰と精神が限界のようで、育児ノイローゼっぽくなっている…。ここ1ヶ月育児がほぼ全て夫の担当になってるので、そりゃキツかろうとは思う。
臨月近くなって来たら息子の世話はしにくくなるとは思っていたけど、まさか切迫になるとは思っていなかったので、今まで通り私がメインの育児でなんとかやれるだろうと、対応を真剣に考えていなかった。甘かった。
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先週の母親学級で一緒になった方が、「仕事を辞めて里帰りして来て、ようやくマタニティライフを楽しんでいる」と自己紹介していて、衝撃を受けた。人それぞれ色々あるんだろうけど、マタニティライフという語感のハッピーさが羨ましかった。
初産だと言っていたし、里帰りで友達と会ったりして楽しんでいるのだろう。私も確かに息子の時の1人目の妊娠生活は、自由だしトラブルもなかったので、やりたいことを色々できた。
それに比べて2人目の妊娠生活は、仕事面でも家庭面でも、しんどい毎日ではあった。
勿論、休日家族で遊びに行ったり買い物したりと娯楽もあったし、それなりに子供との生活を楽しみもしていたけど、なんと言うか、日々本当に「生活」を回していくのが精一杯で、余裕がなかった。
仕事もモヤモヤとしながらだったし、あまり妊婦扱いされなかったので、どっちかというと自分でも妊婦であることを忘れているような感じだった。
まだ妊娠生活は終わっていないけど、辛いことはきっとすぐ忘れてしまうので、今までの経過をなんとなく振り返っておく。
まずは、家庭の状況のこと。
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息子を保育園の1歳クラスに放り込み、昨年5月に育休から職場復帰して、第2子の妊娠が分かったのが10月。いつかは2人目が欲しいとは思っていたが、我々夫婦には正直想定外のタイミングであった。
上の息子とは2歳半3学年差となり、自分も夫もアラサー世代なので、一般的にはそんなにおかしくないタイミングではあると思う。
ただ、私自身としては息子の保育園の病気ラッシュがひと段落し、仕事と家庭の両立生活が半年でようやく様になってきたかなという感じだったので、次の家族計画は、とりあえずもう半年くらい働いてからかな、と考えていた。多分、夫もそんな感じだったのではないだろうか。
時短勤務だったので、復帰後の平日の家事分担は基本的に全て私担当だった。食事と食洗機での洗い物、洗濯。夫の担当は、休日の掃除と、ゴミ捨て。
育児は一応2人でやっていたが、通勤手段の関係上(私→車、夫→自転車)保育園の送迎も私。平日夕飯を食べさせるのも私。
夫は忙しければフツーに残業してくるので、平日遅くなれば、その分私にしわ寄せがきた。
妊娠が分かってからも、基本的な家事、育児分担は変えなかった。
妊娠2〜3ヶ月の頃はつわりで仕事もかなり休んだし、その頃は食事を夫に買ってきてもらったり、休日息子を連れ出してもらって、1人家で横になったりしていたが、落ち着いてきてからは、ほぼほぼ前の通りの生活スタイルになっていた。
朝に夕飯の準備をしておく、張る腹を宥めながら夜洗濯物を干す。台所に突進したり、膝の上に座ってくる息子をやり過ごしながら、食器を食洗機に入れる。そういう努力で毎日は成り立っていた。
家事をそこまで苦痛だとは感じていなかったが、仕事と育児をしながら、と言うのはきつかった。そこに、妊婦で体力低下し、頭痛等の地味なマイナートラブルも加算され、体力的にはやはり無理はしていたのだと思う。
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育児面もしんどかった。
助産師さんからは、「流産や早産に繋がるので、上の子を抱っこしてはいけない」と言われていたが、食事の際にベビーチェアに乗せたり、湯船に入れたり、車に乗せたりと、日常で抱っこが必要な場面なんてごまんとある。全くしないわけにもいかず、なし崩しになっていた。
そして、息子は2歳になった頃からイヤイヤ期に突入して、折に触れてぐずるようになった。成長なので仕方ないのだが、手を焼いた。(というか、今も夫がエスカレートしたイヤイヤに手を焼いている)
食事や風呂の世話は宥めすかしたり、落ち着くまで待つことも出来るが、保育園の送迎は時間が決まっているから、バタバタした朝にいつまでも待てない。最後は暴れる息子を抱えて車に乗せ、チャイルドシートに抑え込んで乗せるしかない。腹が張ろうが関係ない。乗せないと、仕事に行けないのだ。
保育園で預かってくれているから、平日日中の世話はないものの、休みの日も体力が有り余っている2歳児を全く連れ出さないわけにもいかない。その面では夫がだいぶ活躍はしてくれたが、出かけて歩き回る機会はやはり一人目の時よりは格段に多かったと思う。
切迫早産になってしまったものは仕方ないし、だったらどういう対応がとれたのかと自問自答しても、多分何もできなかったとしか回答が出ない。強いて言えば、もう少し家事を夫や義実家に頼むか、抱っこに頼らずに息子をコントロールできるように育児や生活スタイルを工夫すべきだったのかなあ…?しかしイヤイヤ期の2歳児に毎日疲れ果てていて、とてもそんな振る舞いはできなかった。
振り返っていたら悲しくなってきたので、家庭の振り返りはこのあたりで一旦止めたい。安静生活中の今、夫がほとんどの育児を担当してくれていることに感謝しているし。
本当は、今自分がやってる平日の育児ノルマは私が孕みながらやってたことだということ、何か感じてほしいんだけどな。
でも、奴はそういうキャラじゃないかな。
明日でようやく34週突入できる
今日は33w6d。
30w5dからスタートし、3週間ほど続けて来た自宅安静生活も、ようやく明日で34週というところまで来た。一応34週で胎児の肺機能が完成するので、最悪出産になっても呼吸ができるとかなんとか。ひとつの山は越えたことになる。
でもかかりつけの産婦人科は個人病院なので、今出産になったら、赤子だけGCUとNICUのある総合病院に緊急搬送だろうな…。
やっぱり生産期、せめて胎児の体重が2500を越えるまでまで保たせたいのは変わらないので、生活スタイルはこのままで行かざるを得ない。
どんな医者だよって話だが、主治医の安静指示が曖昧で、生活がどこまで許されているのかがよく分からない。なので、多分もう少しゆるい安静でもいいんだろうけど、「まあ基本的には横になっている」生活を続けている。
一応「腹が張らなければ軽く外出るくらいはOK」とは言われているが、検診と母親学級でしか外出はしていない。
やってる家事は最小限で、育児も夫任せで基本していない。
ベッドかソファで横になって、携帯を触ったりクロスワードやゲームをする引きこもりニートと化している。
とてもとても前向きに考えれば、今の状態は
・好きなだけ寝放題
・やれることは限られど、自分の好きな事を好きな時にできる
・育児から解放されている
という、産後を考えると楽園のような生活とも言えるんだけど、やっぱり日々の閉塞感がやばい。体力もどんどん落ちてるのがわかる。
このままだと、出産への体力もかなりやばいような気がする。
なので、36週か37週まではやむなしとしても、その後はなんとか普通の生活が送れないかなあ…というのが本音。
とりあえずは来週頭の34週の健診で何を言われるかだけど。ただ、32wの検診の際も割と対応が軽かったので、引き続き1日3回のウテメリンだけ出されて何も言われないような気がする。
どうやら家族が増えるらしい
私(こまつ)
関西在住のアラサー会社員→産休中。
昨年5月に息子1の育休から復帰したものの、10月に第二子の妊娠が発覚。
6月頭に出産予定。
夫
大学の先輩。同じ会社の別部署の社員。
くまモンとラーメンとゲームが好き。
息子1
2歳4ヶ月(2017年4月現在)。電車が好きな保育園児。
イヤイヤ期まっさかり。
赤子
もうすぐ家族となる予定。主治医が教えてくれず、9ヶ月のいまだ性別不明。
産休前は仕事と家庭の両立でへろへろになっており、産前休暇になったら自由をエンジョイする構想をたてて頑張っていたら、30週にまさかの切迫早産の診断を食らって自宅安静の毎日…。
仕事に復職してからは、中々日記もかけていなかったので、色々覚書のために開設。
とりあえず無事に出産することが目下の目標。