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もうすぐ4人家族になるアラサーの日々のいろいろ

4人の日々とイヤイヤ

里帰りから帰って4人での生活が始まった。娘は2ヶ月に突入し、私も産後休暇から、育休に移行。
娘が1歳4月になる1年半後まで育休を取得するつもりなので(無事に保育園に入れれば、だが)、しばらくはこの生活の予定。
2歳半の息子も保育園にそのまま入れておいてもらえるので、その点はありがたいのだが…

2人育児辛い

上の子は保育園なのに、何を舐めたことを、と自分でも思うが、2人育児がやはり辛い。主に息子の世話に手を焼き気味である。
おそらく、育児が単純な”世話”から”育て”になってきており、それがうまくいかないのがしんどいのだと思う。
あと、私自身の問題として、子育てがあまり得意ではない…。
保育士の先生方や、家で育児をしていらっしゃる専業主婦の方々を本当に尊敬する。

娘との日中の時間は、まだ低月齢ということもあり、転がしておきながら適当に家事もできたりして、余裕もあるのだが、
息子が保育園から帰ってきてからの時間は戦争状態である。
息子を遊ばせながら、ご飯を食べさせたり風呂に入れたりしつつ、当然合間合間に娘の授乳やオムツ替えや泣いたのをあやしたりが入ってきて、ぎゃーっとなっている。キャパが足りない。

息子の状況

折に触れてイヤイヤする

朝着替えない、自宅を出ない、保育園に着いても車を降りない、
帰宅後家に入らない、手を洗わない、ご飯を食べない、風呂に入らない、寝ない…

何でもとりあえず拒否するところから入る。
スイッチを入れたり、布団を畳んだりといった自分のやりたいことでも、
「あかーん」と拒否し、後でやっぱりやりたかった!と泣き喚く。本当にテンプレなイヤイヤ。

特に、出発と車を降りないイヤイヤは、娘をスリングに入れているので、以前のような抱っこして連れて行く方法ができず、
なだめたり気分が変わるのを待ったりしながら、最終的には宇宙人を捕獲したような感じで、無理やり引きずって連れて行く羽目になっている。
「毎朝毎朝そのプロレスはやめようぜ」と声掛けはするものの、なかなか終わらない…。
トイレトレーニングもゆるくは始めているが、そんな感じでイヤイヤされるので、あまり真面目にはしていない。

イヤイヤしないときは四六時中へばりついてくる

食事の準備をしていたら着いてきて台所の引き出しを開けまくる、「こっちへ行こう」と自分の方に連れて行こうとする。
新聞を読んでいても、その上に乗ってきて「遊ぼう」という(猫か)。
寝かしつけようと添い寝していても、ずっと私の肘だの腕だの足だのを触ってくる。
この触ってくるのが地味にストレスで、さっさと寝ろよ!とキレてしまうこともよくある…。

結局"自分"のせい

色んなイライラの原因は、「自分がこう育てたい」という目標に対し、思い通りに行かないことなのだとは理解してる。
大体、一つ一つの息子の世話は、やりたくてやっているわけじゃない。
手を洗わせたいわけでも、風呂に入れたいわけでも、歯を磨きたいわけでもない。トイレトレーニングだって別にしたくない。私だってやらないで済むことは、息子を放置しておく方が楽だ。
それでもやるのは、"しつけ"としてここでやっておくのが親のつとめだと思っており、なおかつ誰もしてくれないからだ。

勿論、以前と比べて成長もしている。
遅かった言葉も増え、意思疎通もだいぶ図れるようになったし、娘の世話を手伝ってくれることもある。
「奴はまだ2歳だぞ、2歳児に何を期待してるんだ」と自分に言い聞かせて、日々を過ごそうと努めているのだが、怒鳴ってしまうこともしょっちゅう。私のアンガーコントロールがもう少し上手になれればいいのにな…。

妊娠生活を振り返る 各種トラブル編

もうすぐ里帰り生活が終わる。

娘は飲んで寝ての新生児ライフを満喫している…と言いたいところなのだが、どうも構ってちゃんの片鱗を見せており、日中の風呂上がり以外はなかなか寝ず、転がして放置すると泣き出すようになってきている。夜中は割と寝てくれるのが救いではあるが、二人目の子育ては楽だというのは、都市伝説だったのだろうか。

自宅に帰ってからの生活が怖い。

 

 

妊娠期の振り返りの続き。

妊娠中は、以前のエントリにも書いたように、仕事、家事、育児の両立に追われ、かなりバタバタしていた。

その中でも日々色んなことがあり、切迫以外にもトラブルがたくさんあった。

1〜2歳児を抱えて仕事をしながら生活を回すこと、そのものがただでさえきついのだが、そこに妊娠に絡む絡まない問わず、問題が我が家を苦しめ、最終的に娘は、我が家の中で災厄を呼ぶ悪魔の子呼ばわりされていた(ひどい)。今回は、それらのトラブルを振り返りたい。

 

 

妊娠発覚前に禁忌薬

保育園通いたての頃からするとマシになったが、やはり保育園児の息子は定期的に風邪を引く。息子と一緒に寝ていた私は、たまにそれをもらってしまっていた。

昨年9月には、そのもらった鼻風邪を忙しさに放置した結果、副鼻腔炎に進化させてしまった。ずっと黄色い鼻水がだらだらとたれ、最終的には奥歯や顔が痛むまでになった。流石に辛くなって来て、耳鼻科で診察を受けて抗菌薬を処方してもらった。

副鼻腔炎はすぐ治ったが、後に妊娠が発覚して、服用期間が、過敏期とされる妊娠4週にあたる週であることが判明する…。そして、出してもらった抗菌薬は妊婦はNGとなっている薬だった。

ただ、ネットで調べた限りでは、「禁忌薬扱いだが、実際の奇形率はほぼ変わらない」とされており、産婦人科の主治医もほぼ同じ見解だったので、とりあえず気にしないことにした。それでも、妊娠初期は後悔していたし、かなり自分を責めた。

結果的には、今のところは特になんの影響も見られない。というか今回振り返るまで、服用したことを忘れていた。ひどい(2回目)。

 

 

つわり

子供を産むまでは、自分にはつわりがない体質なのではないかと謎の楽観視をしていたのだが、2ヶ月〜4ヶ月に吐きづわりと食欲不振が出るという、典型的なタイプのつわり持ちだった。

特に上の息子の時はひどかった。なんとか水分やウィダーインくらいの食事は取れていたので妊娠悪阻とまではならなかったが、とにかく毎日気持ち悪かった。起き抜けや風呂上がりに戻してしまったりもして、最終的に7kg痩せた。

幸い職場に理解があったので、体調が優れない日は当日連絡でも休ませてもらうことができた。会議や大事なアポがある日は無理やり出社していたが、当時の手帳を確認すると、月の半分くらいしか勤務できていない。よく許されたなと思う。

 

2人目の今回も、前回ほどではなかったが、つわりに苦しみ、5kg痩せた。

1人目の時と違うのは、自分は食べられなくても、少なくとも息子の朝晩の食事は作らねばならないことである。

自分の食事はコンビニで食べられそうなものを調達し(おにぎりやサンドイッチを買うことが多かった)夫と息子の食事は、作れる時は作り、難しい時は生協の冷凍や惣菜を駆使して、なんとか乗り切った。

なお、隣で違うものを食べていると美味しそうに見えるのか、息子は私が食べているサンドイッチを欲しがり、困った…。

この時期も、休みの日は夫が弁当や惣菜を買ってきたり、息子と外で遊んでくれたりしたので、ありがたかった。

 

 

つわりと風邪のダブルパンチ

副鼻腔炎が治って1ヶ月もたたないうちに、再び息子の風邪をもらってしまった。発熱はしなかったが、鼻と咳が2週間ほど続いた。普段なら適当に風邪薬を飲むのだが、ちょうど妊娠3ヶ月。医者にもかかれず、市販薬も飲めず、咳きこむたびに吐き気が襲ってくるが何もできないという状況で、まさに地獄だった。2週間くらいずっとマスクで過ごした。

この時に、仕事で関係者への挨拶回りに行かなくてはならず、しかし職場の雰囲気的に誰にも手伝いを頼めずに、一人で10軒ほど周り、停めた車の中であまりに辛くて泣きそうになったことを覚えている。今思うと無駄に頑張り過ぎ

である。

 

 

車を当てられる

これも妊娠初期。帰宅した自宅の前で、前方にいた車がいきなりバックして、私が運転していた車にぶつかってきた。自宅前の道は袋小路になっており、相手方はUターンしようとして、後方確認をしないままバックしたようだ。私は自宅敷地に車を入れるために、停車中だった。

幸い、相手もそこまでスピードが出ていなかったので、お互いの車の傷で済んだ。相手方も悪い人でなく、保険で車の傷も治してくれ、一応行った産婦人科の診療費(初期だったので全く問題なかった)も出してくれたので、大きなトラブルには発展しなかった。

このままわたしが難癖をつけたら、振り込め詐欺によくある(?)「妊婦さんと事故って慰謝料が云々」になるなあ、としょうもないことを思った。勿論不当な請求はしていない。

 

 

息子のインフル

妊娠後期にピンチだったこと。

息子が3月のある月曜に突然39℃近い高熱を出した。その日の午前は私の仕事が抜けられない日だったので、とりあえず午後からは休む段取りをして、夫に病院に連れて行ってもらった。そして、診察の結果インフルが発覚した。

世間的にもかなり流行していたが、ピークは収束していたし、家族3人予防接種は受けていたので、なんとか乗り切れたと思っていた。まさかこのタイミングでなるかと…。しかも、保育園は当然完治まで登園禁止なので、1週間は家で誰かが面倒を見ないといけない。しかし妊婦。

午後に息子の世話を交代しながら、 自分が1人義実家に避難することも考えていた。

結局年度末でお互い仕事が忙しいこともあり、夫婦で仕事を調整して、その1週間を夫と2日ずつ休んで面倒を見た。

幸いにも、私と夫は感染せずに済んだ。正直、夫の方がよく体調を崩すので、自分より夫の方が怪しいと思っていたが、辛うじて免れたようだ。

 

 

 

あげていくと、一つ一つの問題はそこまで大したことなくて、もっとやばいトラブルに遭遇したこともある(育休復帰日に息子が肺炎で入院するとか)。生きていると色んなことが起こるものだし、どうも私はトラブル体質なので、ちょっとした不幸には見舞われやすい。なので、人生の節目に合わせて何かが起こることにわりと慣れてはいる。

 

でも、妊娠中の体調が優れない中で、次々発生する問題に対応しなければならないのは、やっぱり結構しんどい日々だったな、と思う。

妊娠経過が順調でも、やはり妊娠時とそうでない時は何かが違う。味覚も、疲れやすさも、ストレスも、何か圧倒的に違う気がする。今の幼児と新生児の世話もそれなりにしんどいが、出産を経て、自分の体が妊娠中のそれから解放されたのは本当に嬉しい。

そして、多分トラブル続きの日々は今後も続くので、何が起こっても大丈夫なように、そして自分が原因のトラブルを起こさないように、気をつけていきたい。

 

 

 

上の息子は2歳半になった。息子の妊娠が発覚して、自分自身のことに制約が増え始めてからは3年少し経った。まだ3年か、とも思うし、もう3年だな、とも感じる。

妊娠生活を振り返る 切迫早産の日々編

母子ともに特に問題なく、退院して一家揃って同じ市内にある義実家に里帰りしている。私の実家は距離があり、居るのは働いている母1人なので、頼りにくい。上の息子の時同様、義実家の好意に甘えている。

専業主婦の義母が全部家事をしてくれるので、昼間はニート生活だ。新生児娘の世話はあるが、寝ている間は何もしなくて良いし、ぐずっていても抱っこしておけばとりあえず泣かないので、割とマシだと思う。

息子は、日中は保育園に行っており、送迎も産前から引き続き夫と義母がしてくれている。帰宅してからは遊んだりご飯を食べさせたりはするが、見てくれる人が多いので、娘が泣いていれば、私はそちらの世話に専念できる。相変わらず息子のイヤイヤはひどいが、今のところは赤ちゃん返りはほとんどない。しょっちゅう遊びに来ている義実家なので、義父や義母も息子も慣れている。

というわけで、主に私ばかり楽をさせてもらっている里帰り生活である。流石に退院後1週間は体のダメージが残っており、横になっていないとしんどかったが、今となっては体もだいぶ回復したので、上げ膳下げ膳が申し訳ないくらいだ。自宅に帰ってからの、家事と平日の育児が全て私担当になるだろう生活が怖い。



時間のあるうちに、妊娠生活の振り返りの3回目、切迫早産の日々のことを書き記しておこうと思う。



切迫早産が発覚したのは妊娠8ヶ月。30週の定期検診のときであった。

妊娠中期からたまに腹が張ってるのは分かっていたが、痛みは伴わなかったし、仕事に集中している日中は、身体には意識があまりいかない。こんなものだろう、と気楽に考えていた。

検診の時も、看護師さんに「張りやすそうなお腹だ」「というか張ってる」と度々言われてはいたが、主治医からは特に何の指摘もなかった。まがりなりにも毎回内診を受けていたし、何かあれば流石に言われるだろうと思い、大きなトラブルはないんだろうと考えていた。

逆に、2週前の検診で逆子を宣告され、毎日就寝前に逆子体操に励んでいたくらいだ。

油断しきってきたので、健診の少し前に出産前の最後の旅行として、有馬温泉にも行っていた。事前に医師の許可は得ていたし、まさか切迫になるなんて思ってもいないから、アップダウンのある六甲山の牧場や有馬の温泉街を歩き回って観光した。家庭内では、これも切迫早産の要因だったのではないかという説もある。旅行に関しては楽しかったし、やはりもうしばらく旅行は行けないと思うので、後悔はしていないが、まあそうかもしれない。




そんな中での、急な切迫早産の診断である。

「逆子は治っているが、お腹の張りが強く、子宮頸管が短い(約3cm)。

張り止めのウテメリンを1日3回服用し、家でおとなしくしておくこと。仕事も診断書を出すので、休むように。」


寝耳に水の話だったが、なってしまったものは仕方がないし、仕事も家庭もなんとかするしかない。帰宅後に夫とこれからの生活を相談した。




仕事の方は、即日連絡を入れ、翌日は引き継ぎと残務整理、手続きのために出勤した。その次の日からは残っていた有休を消費して、予定より2週間ほど早く産休に入った。入れてしまっていたアポイントは上司に振って、担当していた仕事の引継を1日で終わらせた。職場もすぐに理解してくれたので、一応もらっていた診断書を出すまでもなかった。

うちの会社では、通常女性社員が産育休を取る際は、代替としてバイトを雇う。しかし、私の場合専門職ということで代替を取れず、人事異動でも補充はなかった。ただでさえ休むことで人数が減るので、せめて出来るだけ迷惑をかけない形で休みを迎えたかったのだが、きちんと仕事を終わらせられなかったのが心残りだ。落ち着いたら、職場に挨拶に行かないといけないが、非常に気が重い…。



家庭の方も、私が担当していた家事や育児をどうにかしなければならない。

とりあえず、息子の保育園の送迎が問題になった。

自宅から保育園までは1.5kmほどある。通勤経路なので、普段は車で送迎していた。ただ、うちの車はSUVなので、抱きおろしをしないと絶対に乗せ降ろしが出来ない。2歳イヤイヤ期の息子は素直に車に乗ってくれないことも多く、時には無理やり抑えて乗せる必要がある。


結局、私の時短勤務に合わせた8:30〜17:00だった息子の保育時間を8:00〜18:00に伸ばしてもらい、夫が基本的に送迎することになった。

また、息子に食事を食べさせる(椅子に座らせるのに抱き上げる必要があった)、風呂に入れる等、抱っこが伴うお世話はすべて夫の担当になった。また、私と息子→和室の布団、夫→寝室のダブルベッドであった寝る場所を交代し、寝かしつけも夫にしてもらうことにした。

私は、朝夕の食事の支度、食器洗い、洗濯等の最小限の家事のみの担当になった。買い物も、平日はネットスーパーと元々利用していた生協で賄った。



仕事が繁忙期の年に入った夫は、定時で仕事を切り上げて帰ってくること、今まであまりタッチしてこなかった平日の育児をすることが苦痛で仕方なかったらしく、だいぶ精神的に参っていた。

それでも、安静中の1ヶ月半、送り迎えも息子の世話もこなしてくれて助かった。休みの日も私もある程度は一緒に遊んだりしたが、外に連れ出してくれたり、家で1人で見てくれたり

と頑張ってくれた。



私はというと、家事をしない時間は、基本的にはベッドかソファの上で横になっていた。

夫が買って来てくれたクロスワードパズルの雑誌や、3DS、携帯でのネットサーフィンを暇潰しに使っていた。仕事に関する資格試験の本も買ったのだが、こちらはほとんど読まなかった…。

また、横になるとつい眠ってしまい、1日2時間くらいは昼寝してしまっていた。

それまでフルスロットルで動いていた身には違和感が凄かったが、ある種休息を与えてもらったのだと思い、ごろごろすることに専念した。


そうは言っても、横になっていなくてはいけない、というのは苦行でもあった。元々引きこもり体質なので、外出できないのはそこまで苦ではなかったが、それでも自分が家庭において何もできない、というのが辛かった。特に肉体的にも精神的にも疲弊していく夫が、折に触れていかに自分がしんどいかということを訴えてくるのが辛かった…。聞いても何もできない上に、罪悪感ばかりかられた。



産まれてしまうと行動が制約されるので、産前休暇は有意義に使おうと思っていたのだが、元々思い描いていたものとは大幅に違う結果となってしまった。

切迫早産になる前は、仕事や日々の生活のストレスの合間に、産休に入ったらやりたい事を夢想していた。

とりあえず美容院がすいている平日に髪を切りに行きたい。息子が産まれてから行きにくくなった、おしゃれっぽい飲食店にランチに行きたい。

このあたりの"夢"は、基本的に出来なかった。夫が平日の車を使うことになり、我が家の徒歩圏にはスーパーくらいしかないため、移動手段を持たない私には何もできなかったからだ。それでも、正産期に入ってからは、スーパーに併設したラーメン屋に1人で行ったりして、少し溜飲を下げた。

無事出産

その後、正産期を無事に過ごし、「これはたまに目にする『切迫だったのに予定日超過して誘発がいるコース』か…」と思っていたら、なんとか予定日翌日に娘を出産できた。3080gくらいのほどほどのサイズだった。

まだ「よにんぐらし」にはなっていないが、「よにんかぞく」にはなった。


時系列は前後しそうだが、妊娠中のこともまた振り返りながら記録しておきたい。

正産期に入った

無事に37週に入った。長かった。36w4dに行った検診でも推定体重2500gになり、とりあえずいつ産まれても大丈夫にはなった。長かった安静生活ともお別れだ。

ただ臨月でお腹も大きくなっているし、周囲の人は私が息子の世話をすることを不安視しているようで、これまで通り保育園の送迎は夫にお願いすることになった。車が使えない上、徒歩圏にはせいぜいスーパーくらいしかないので、基本的な生活はあまり変わらないかもしれない。

それでも、風呂に入れたり寝かしつけたりは、夫が定時で帰れない時は私がすることにした。今までは、残業時間を夫がある程度で切り上げて帰宅し、寝る前の世話をしてくれていたので、結局仕事が終わらせられていなかったらしい。まあ、出産したらまた暫く夫に頼まざるを得ないだろうけど。



出産準備もある程度目処がついたので、あとは産まれるまで特にやることはない。体力の衰えをかなり感じるので、出産に耐えうるか不安である。

産後は同市内の義実家に里帰りするので、産後の荷造り等をしておかないといけないが、時間はありそうなのでぼちぼちやろう。

妊娠生活を振り返る 仕事編

妊娠生活の振り返り、第2弾。今度は職場のこと。



一応共働きだ。そして、色々あって夫と同じ会社に勤めている。夫は総合職的な仕事だが、私は専門職で男性の多い部署で働いている。

ありがたいことに、そこそこの規模であり、福利厚生もしっかりしている。産休育休も3年までしっかりとれる。(その分お給料はささやかである…)

忙しさは部署や年にもよるが、自分が居たところは、繁忙期以外は定時〜19時くらいには帰れた。仕事も担当制なので、ある程度自分で忙しさの裁量が効いた。



入社当初はフルタイム勤務だったが、上の息子を出産し、昨年5月に復帰してからは時短勤務をしていた。そして、2人目が産まれることになったので、今年3月末から再び休んでいる。

本当は4月上旬から休む予定だったのだが、悲しいかな30週の検診で自宅安静指示が出てしまい、2週間ほど早く産休に入ることになった。

突然のことだったので、引継ぎも1日で無理矢理終わらせ、担当業務の後任が誰になるのかもわからないまま、微妙な出来の引継ぎ書を叩きつけて来たのだが、どうなったのかは怖くて聞けていない…。

産休に入って2回ほどは電話がかかってきたが、たいしたことは聞かれなかったので、なんとかしてくれたのだと信じたい。



仕事はざっくりというとインフラ系。外注作業の発注、管理が主な業務内容だ。産休に入る前は10人くらいの部署のメンバーで、女性は私だけだった。

そもそも、職種的に男性が多いこともあり、職場に女性専門職の先輩はとても少なかった。まして、自分の専門分野では私が初めての女性社員で、ロールモデルに出来る人が居ない。息子の妊娠中、復帰後、そして2人目妊娠後の仕事のやり方は常に手探りだった。




妊娠したら、一般的にはどのくらい仕事をセーブするものなのだろう?立ち仕事や接客の多い仕事は辞める方が多く、内勤の方は変わらず勤務するのが普通なのだろうか。

自分の仕事は、進捗の状況にも寄るがデスクワークが5〜7割、外回り3〜5割くらいの比率だった。外回りの内容も、工事現場での指示もあれば、調査もあるし、客先での打合せもある。


1人目の妊娠の際、特に具体的に上司と相談したわけではなかったのだが、「工事は担当させない」というのが暗黙の運用になったようだった。

それ以外の仕事は特に妊娠前と変わらずにやっていた。外回りも工事以外の調査や打合せ、訪問等は普通にこなしていた。その時はそのことに特に疑問を抱いたことはなかった。





今思えば、今回と前回の妊娠は、自分も、周りを取り巻く環境もかなり違った。


1人目の息子の妊娠は、産休開始予定のタイミング上、担当事業を年度の途中で誰かに渡さなければならないことが確定していた。

所属している係の人数もそれなりに充実しており、なおかつ家庭を持っている人が多かったので、配慮もしてもらいやすかった。現場が出てくることが確定している仕事は早めに引き継いでもらえたし、その他の引継ぎを見越して後任の担当者に打合せについて来てもらったりもできた。

自分自身も、普通にフルタイム勤務で、残業もしようと思えば普通に出来る環境だったので、仕事の進行にも余裕があった。

そして特にトラブルなく、予定通りのタイミングで産休に入れた。




2人目の今回は、そもそも時短勤務中である。息子が体調を崩して急に休む羽目になったりもするし、アポイントが時間外しかとれない等、よっぽどのことがないと残業もできない。(制度的には出来るが、息子の迎えを夫か義母に頼まないといけないので敷居が高い)常にギリギリで仕事を回している。

また、産休開始予定はちょうど期末直後になるタイミングで、担当業務を今期のノルマまでは自分で終わらせる必要があった。

ある種当然ではあるのだが、期末が近づくに連れて仕事も勿論忙しくなって行き、スケジュールもどんどん押して行った。妊娠後期になりどんどん動きづらくなる身体にはしんどいものがあった。


また、自分にとって辛かったのは係のメンバー構成がかなり変わっていたことだった。

メンバーの数も減り、経験が少ない人が増えた。私だけでなく、そもそも係に人的余裕がない。みんないっぱいいっぱいで仕事している。

そして家庭持ちは自分と係長だけ。

勿論独身の人にも妊娠したこと、つわりや検診で仕事を休むことに露骨な嫌な顔はされなかったから、そういうマタハラを受けるよりはマシなことは分かっている。それでも、やはり家庭がある人と独身の人では、家庭や体調に対する理解度が違う。

ただでさえ自分は時短勤務をしており、他の人より早く帰っている引け目がある。自分から「しんどいし、誰も分からなくなると困るので、自分の仕事を一緒に担当して下さい」とは言いづらく、結局、仕事のやり方は妊娠前後でほとんど変えられなかった。


つわりの中、ビラを持って挨拶回りに行くのがしんどかった。妊娠後期に遠方の客先に1人で1時間運転して向かいながら、もし今体調が急変したらどうしようと思っていた。

あまり深くは触れられないが、人間関係も地味に辛かった…。全員と仲良くなれるわけでないことは重々承知だが、余裕がない中で合わない人と仕事するのは応えた。



そして、最終的には切迫早産になってしまった。




仕事の上では、その時は身体的に無理をしすぎたつもりはなかったが、少なくとも色んなことの細かい積み重ねは、ストレスになっていたんだと思う。

腹も出にくい体質で、妊娠後期に入ってからも一見妊婦だと気づいてもらえないことが多かった。多分職場でももう少し妊婦っぽい体型になっていたら、色々配慮してもらいやすかった気がする。



少しずつ女性の専門職の後輩も増えて来たので、今後私以降に妊娠しながら仕事をする人も出てくるのだろう。その時は頑張りすぎるな、とアドバイスしたい。あと、1人目と2人目はびっくりするくらい難易度が違うから、気をつけろと言いたい。

でも、2人目の復職後も無理して色々回してしまうんだろうなあ。

10カ月突入

ほとんど外出しないGWを過ごし、36週を無事に迎えた。あとは37週と体重2500gの壁を乗り越えれば早産的リスクはゼロに。長い1ヶ月半だったことよ…。

ここ数日でいうと、あまりやばい!という張りはなく、逆に減っていた胎動が増えて来ているような。ただ、たまに肛門や腟奥に痛みや衝撃が走ることがあり、ドキドキする。



37週以降の生活をどうするか、まだ夫と詰め切れていない。夫ははっきりとは言わないが、保育園の送迎はこのまま夫が産後までする形になるんだろうか。運転や抱っこは腹もでかくなってるのでやりにくくはあるが、切迫リスクがなくなれば最悪してもいいのでは、と思っているのだが、どうなんだろう。結局夫が残業できないのが、家庭不和を招いている大きな要因な気がするので、送迎を続けるなら、あまり安静解除の意味はないような。



GWは前述どおりどこにも行けなかったが、実母が遊びに来たり、義実家や義姉一家と食事に行ったりし、久々に夫と息子以外の人と話して少しストレスの緩和にはなった。


出産に対し、あまり前向きな気持ちになれていない。夫も楽しみな様子を見せず、終始疲れたとか先が見えないとか、そんなことばかり言う。あまり家族が楽しみにしてくれないのに

、それでも痛い思いをして産んだり、育てたりするのは自分なのがますます気持ちを落ち込ませる。もう少し優しくしてほしい。